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公益社団法人国際農業者交流協会欧州支部のブログ ドイツより農業と若者の夢お届けしています
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JAEC欧州支部
ブログ作製:
JAEC Europe
性別:
非公開
自己紹介:
ドイツのボンに事務所を構える公益社団法人国際農業者交流協会欧州支部です。

本ブログはA.K.及びM.I.2名が執筆しています。今日はどちらが書いているかな?

本ブログについてはこちらを参照下さい。
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馬のひづめが痛まないようにつけられる「蹄鉄」。ギリシャでこの週間が始まって以来すでに1000年以上の歴史があります。

ドイツでは、煙突掃除やさん、幸運の豚(よく背中に1セント(昔は1ペニヒ)をしょっています)、天道虫、四葉のクローバー、赤白水玉のきのこ(ベニテングダケがモチーフ)---と並んでよく知られたラッキーシンボルでもあります。

この伝統的な「蹄鉄」にちょっとした変化が起きようとしています。蹄鉄工の1人、J.Kさんは「馬に蹄鉄をつけるのは人間にしてみれば鉄製の靴を履かせられているようなものだ」とゴム製のひづめカバー(見た目は蹄鉄です)を開発。こういった「鉄の代わりのひづめカバー」は特に新しい試みでもありませんが、今まで乗馬界で浸透してこなかったということです。

ゴムや人工樹脂で作る「蹄鉄」(ほかに呼びようがないのでこう呼びます)は、直接ひづめに貼り付けるタイプと、蹄鉄のように釘で打ち込むタイプと2通りあるようです。蹄鉄と同じようにそれらの「蹄鉄」は6-10週間ごとに取り替えて強度を保ちます。「蹄鉄」の形をしていない「ひづめ用靴」も開発されています。ただ、この場合ははかせたり、脱がせたりするのが困難なようです。

もちろん「裸足」で歩く馬もいます。わざわざ蹄鉄などひづめの補助なしで馬を飼育するための研究所があるそうです。ここでは、ひづめはごくごく薄くけずりますが、蹄鉄工よりも多い回数削るんだそうです。蹄鉄よりゴムや、人工樹脂のほうがよいとする人たちは、その軽さと、ひづめの機能の妨げにならないことを利点としています。

伝統的ある蹄鉄の擁護派いわく、蹄鉄も年々改良を重ねてきて、昔より性能はぐんとあがっているし、今開発されているゴムや、人工樹脂の蹄鉄は従来の蹄鉄より3割ほど高価だということです。ちなみに普通の蹄鉄は4本の足全部につけるとして60-120ユーロだそうです。

・・・肝心の馬はどちらのほうが足に良いのでしょうね?実際に両方つけても、どちらが都合がよいか、聞いても人間語で返事はしてくれないし、今回の開発は浸透するんでしょうか・・・。まだインターネットではそれほど話題になっていないようですが・・・。

 (M.I.)

参照記事 Generalanzeiger 8月8日、9日合併号



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先週末の話ですが、献血に参加しました。夕方にデュッセルドルフ在住の友人と会う予定だったのですが、前の予定が早く終わり、時間がぽっかり空いたためです。

デュッセルドルフから電車で30分弱のエッセンという町にいたのですが、駅へ向かう途中、献血のキャンペーンをやっていました。そこで時間の有効活用として献血することにしました。献血センターが目の前にあり、2階へ案内されます。

献血の流れですが、まずは水分をたくさんとるように言われ、別室でお水やジュースをたくさん飲みます。甘いものも食べるように言われ、バナナをもらって食べました。質問表に書き込んで、(体重50kg以上、健康状態、常備薬の有無、海外で暮らしたことはあるか、海外旅行の有無など)その紙を見ながらお医者さんが問診。最近ヨーロッパ以外の国に旅行したことはないと答えたらOKでした。体温を測定、平熱であれば指先、あるいは耳たぶから血を1滴採血、赤血球の数を調べます。血圧も測定、114の70と普通でした。

日本にもあるのかわかりませんが、調査票の最後に献血を患者さんに使うか、使わないかの選択項目があります。お医者さん曰く自分の血が病気だとわかっていながら献血する人のための処置だそうです。

さて、献血はどちらの腕からでもOKです。看護士さんに名前と生年月日を聞かれて、本人確認後採血スタート。血管を探し当てて、管をぶすっと刺します。まずは30ml、小さいパックにつめます。これは3本の試験管のようなものにわけられました。何に使うのか聞いたら、成分を検査するそうです。

いよいよ本番。500mlの献血です、専用のパックにゆっくりと血がたまっていきます。献血には20-30分かかります。気持ち悪くなったらすぐ看護士さんを呼べるようになっています。ちなみに男性も女性も年齢も関係なく一律500mlです。周りは若い男性と中年の男性と、初老の男性でした。

このあと、10-20分ほど献血のいすに座ったまま休憩して、献血終了。止血バンドは2時間は取らないように、今日はジョギングやサウナなど体に負担のかかることは避けるようにとの指示を聞いてから、必ずビストロで何か食べていくように言われました。

血をとったぶんの糖分補給ということでしょうか。チョコレートやケーキや甘いもの、お肉や、野菜や、おいしそうなご飯をすすめられましたが、お腹がすいていなかったので、事前に食べ残したバナナを半分とりんごジュースをいただきました。りんごやチョコレート、ブドウ糖のラムネ菓子をお土産に持たされ、友人宅へ。

・・・貧血で倒れました。というのは大げさですが、ずっと平気だったのに晩御飯の支度をしているときに、急に吐き気とともに目の前が真っ暗になって、思わずしゃがみこんでしまったしだいです。

ソファーで寝かせてもらい、その後ご飯を食べたらすぐに良くなったのですが、心配した友人が急遽泊めてくれました。すぐ顔に出るたちなので顔色が真っ白になっていてびっくりしたそうです。次の予定があるときに献血なんかしちゃだめだよと叱られました。

その友人(日本人)いわく、日本での献血は女性は200mlか多くても400ml、男性でも500mlはとらないそうです。こちらの薬が日本人には半分ですむように、やっぱり日本人の体と欧米人の体は根本的に違うんだなぁと身をもって知ったできごとでした。(M.I.)



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HARIBOに続いてまたまたボン発祥のヒット商品をご紹介します。
ドイツ在住の皆さんはこんなビン、スーパーなどで見たことありませんか?

truefruits2.jpg右からYellow,Purple,detoxです。現在6種類あります。
会社HP



本題の前に、不景気の影響で現職の確保を心配して最近起業独立希望者が増えているそうです。

独立して、自分の思い描いているプランを周りからの制約もなしに実施するというのは良い手のように見えますが、失業中の起業希望者の4割近くが独自の起業プランを説明できないという。「すてばちになって起業するのではなく、明確なビジネスチャンスをつかんで起業するべきだ」と商工会議所ではアドバイスしています。

不景気だからこそ起業家と金融業者の信頼関係は重要だと言われています。「起業アイディアが明確で、理路整然と説明でき、予想収益、利点とさらに弱点も加えて明記できるなら完璧です」、とはボン商工会議所起業独立専門窓口のR氏の意見です。

このアドバイスのとおり、明確なアイディアを持ち、綿密に調査を重ね理想的な形で成功を収めたのがInga Koster, Marco Knauf, Nicolas Lecloux 、3人のボンの経済大学生(専科大学)。フルーツ飲料「スムージー(smoothie)」で2006年に有限会社「true fruits GmbH」を立ち上げました。彼らは最優秀若手起業家(Kategorie Start up)として「ドイツ起業家賞(Gründerpreis)」を今年6月30日に表彰受賞したばかりです。

2004年、スコットランドの留学先で当たり前のように店先に並んでいたスムージーがドイツでも飲みたいと思い立ったのが事の発端。2005年のテスト販売期間を経て(大学の食堂などで今より安い値段でおいていました)マーケティングに乗り出した2006年は月に1万本(売り上げていたスムージーも今では月に平均50万本の売り上げとか。3人でスタートした会社も現在は15人の正社員を抱える中小企業に成長しました。今ではどこのスーパーでも何社かの「スムージー」を見かけますが、ドイツの元祖はtrue fruitsです。

 (社長インタビュー)


インタビューでは普通には食べられないアセロラやブラジル原産のフルーツなど珍しいフルーツを使おうといったアイディアや、経営パートナーを見つけるまでの苦労、ビンのデザインができ、特許を申請するまでの流れ、後発の大手企業との確執など、スムーズだけではなかった若手実業家の奮闘振りがうかがえます。

アイディアは素朴でもそれをきっちり膨らませてビジネスチャンスをつかんだ手腕は感動ものです。(M.I.)

参照記事:Generalanzeiger 7月2日、30日号


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ハリボーのグミキャンディと言えば、ドイツ在住者なら誰でも知っていると言って過言でないくらいに知名度の高いグミのお菓子です。創始者Hans RiegelがBonnで作ったお菓子なので、この名前がついています。

Haribo macht Kinder froh/ und Erwachsene ebenso (ハリボーは子供達を幸せにする/そして大人も) のフレーズでおなじみHARIBOの代表商品は「Goldbären」(金色の熊)、今では6種類の味のグミベア(ラズベリー味、レモン味、パイン味、オレンジ味、いちご味に加えて2007年からりんご味が登場-ちょっとぽちゃっとした熊の形をしています)が一袋に入っています。

日本でも80年代よりおなじみの果汁グミですが、ハリボーがより硬いのは、硬いものをかむ習慣がなく、歯の病気になりやすい欧州の子供たちの歯を丈夫にするために、日本のグミ工場が2-3割入れているゼラチンを、3-4割入れてしっかり噛まないと噛み切れないように工夫されているからです。

創始者ハンス・リーゲルが1920年に「裸一貫」ならぬ「砂糖一袋」から立ち上げたお菓子工場(初期設備:銅鍋1個、作業台1つ、ローラー1個)は、1946年息子ハンス・リーゲルjrとパウル・リーゲルの2人が跡を継ぎ、今では従業員約6000人、ドイツと欧州諸国に16社、年収17-20億ユーロ(推算)の押しも押されぬ大企業に成長しました。

業務内容は兄のハンス氏は営業担当、弟のパウルは製造および技術担当、ときれいに分担されていました。パウル氏の発明品の代表作の一つとして、ラクリッツ(リコリス)を渦巻きにまきとる機械があります。ちなみに「企業秘密」で、工場案内の際もその機械は公開されていないそうです。

ボンではこれ以上の工場拡大が望めないので、近隣のアーヴァイラーかラインバッハに移るという話が3,4年前からあります。この移動話に反対、工場移転は部分的にしか認めないといい続けていたのがパウル氏でした。一方兄のハンス氏はビジネス面から見て移動させたほうがよいと前々から感じていたようです。

先日未明、パウル・リーゲル氏が「突然に」永眠されました。享年82歳。氏のご冥福をお祈りいたします。

唐突にパウル氏がなくなったことで移転問題には決着がつく見込みだと、HARIBO社のスポークスマンは予測しています。

パウル氏は技術家でもあり、発明家でもありましたが、同時にスポンサーでもありました。ボンの町にドイツ最初のバドミントン用体育館を建てたのも彼ですし、図書館にソーラー設備を寄付したり、市の病院に高価な最新機器を寄付したりもしていました。つい先ごろ、市場に出回っているコンピュータ・トモグラフィー機器をマリエン病院に寄贈したばかりでした。

パウル氏は技術開発専門で、表舞台にに出るのを嫌ったため、「Mr.Haribo」の異名をとる兄のハンス氏ほどは目立ちませんでしたが、沢山の寄付や社会福祉活動など氏の業績は大きく、ボン市民は彼の人柄を偲んで、深い悲しみに包まれています。(M.I.)


参照サイト:
Spiegel
Handelsblatt
Generalanzeiger
Haribo公式HP(左端にパウル氏追悼記事)


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8月になるとここそこで戦争の歴史などの特集を組んだり、戦争にかかわる映画が放映されたりしますが、ドイツでも8月は歴史と向き合う月だと思います。

1939年の8月23日独ソ不可侵条約が締結し、それを元にナチスドイツは諸国への侵略を開始していきました。1945年に終戦し、ドイツが東西に分断されて向えた1961年8月13日、ベルリンの壁が一夜にして建設されました。
それから1989年までの間、ドイツ国民はその越えられない壁に苦しめられ、壁の前でたくさんの血が流れたのでした。

ベルリンの壁崩壊から今年で20年です。

まだ20年、もう20年、でも20年・・・。

ドイツがひとつになってから、1人の人間が成人するほどの時間が経っています。

壁は現在ではほとんどが撤去されて一部が記念碑として存在しているか、博物館や記念館などに展示してあるのみです。

それでは、壁のあった場所は今はどうなっているのかというと、一部はライ麦などの穀物畑になっているそうです。かつてはそこに地雷が埋まり、鉄条網が張り巡らされ、誰一人として立ち入る事ができなかった、不毛の地で、今は人の命を繋ぐ穀物が育っているのです。
プロテスタント教会系の組織Berliner Mauerがその地で収穫した穀物を加工して、パンを焼いたり、オブラート(Oblaten)や、ウィスキーを作ったりしているそうです。
7月終わりにここのライ麦の刈り取り作業があったと新聞が報じていました。

農業というのは、平和を表現する為にも一役買えるものですね。

第2次世界大戦から64年が経って、戦争を伝えるものがどんどん減っていってしまいます。
戦争を経験した人たちがだんだんと天に召され、戦争の悲劇を伝え聞く事さえもできない時代になりつつありますが、こんな世界でどうやって平和を意識しながら、平和を維持していくのか―。
本当に平和を守る時代が来ているのではないでしょうか。

(A.K.)

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