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公益社団法人国際農業者交流協会欧州支部のブログ ドイツより農業と若者の夢お届けしています
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JAEC欧州支部
ブログ作製:
JAEC Europe
性別:
非公開
自己紹介:
ドイツのボンに事務所を構える公益社団法人国際農業者交流協会欧州支部です。

本ブログはA.K.及びM.I.2名が執筆しています。今日はどちらが書いているかな?

本ブログについてはこちらを参照下さい。
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9月も中旬となるといよいよきのこの季節、きのこ狩りの季節です。山育ちの私はこの季節きのこの山(お菓子ではなく)を思ってうずうずしてしまいます。

ドイツでもシイタケやヒラタケをスーパーで売るようになっていますが、季節物のきのこといえば代表格はアンズタケ(ドイツ名Pfifferlinge)。見た目には黄色く不恰好で山で出会っても食用だとは一見思わないような姿ですが、非常に優れた食菌です。
ヤマドリタケ
(ドイツ名Steinpilz)も高級菌として店頭で一際目立った存在。一度ドイツ人の知り合いに天然物を食べさせてもらったのですが格別に美味しかったので、是非一度は自分でも取ってみたいと思っています。
後はエリンギや変わったところでエノキタケ、シメジ(ブナシメジ)、レモンタケ(ドイツ語でそう書かれていた)もごく希に見かけます。

色々なきのこがお店で手に入りますし、ヨーロッパにはヨーロッパの秋の味覚があるわけで、マツタケが食べたいなんて思いません…

すいません、うそです。







マツタケ食たべたーい!

という事で週末になると最近はボン近郊の森に出没していますが、話によるとマツタケは北欧にこそ生えてもドイツには生えないらしいです。
それでも諦めきれず、近所の赤松林を見て回っています。

ドイツで初のマツタケ発見者になるのを夢見て・・・

しかしながら、ヘンゼルとグレーテルの本場ドイツの森なので、迷い込んで魔女につかまらないようにしないといけないと思っています。

ほどよくメタぼっているわき腹が狙われないように!

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ミュンヘンのビール祭り、Oktoberfestは最早ドイツだけではなく、世界各国からイベント好きが集まってにぎわう大変なお祭りですが、ほかの町も負けてはいません。9月も終わりに近づくとあちこちの町で大なり小なり「Volksfest(直訳:国民のお祭り)」が始まります。
 
期間もまちまちで大体2日から3週間弱です。規模の大きいイベントでは、まずビア樽をあけて、(日本でも酒樽割りますよね)最終日には花火をあげます。その呼び名は地域によってさまざまで、ここライン川地域では総称で「Kirmes」と呼んでいます。
 
そんな「Kirmes」が今日から5日間このボンの町にやってきます。ボン郊外Pützchenというところで2、3週間前ごろから乗り物や露店の準備をしていました。遊園地が日本ほど浸透していないドイツでは移動遊園地はイベント好きには欠かせないものです。私の知人にも「世界最大規模のウォータースプラッシュが来るから絶対いかなきゃ」と目をらんらんと輝かせている人がいました。
 
どんなお祭りなのかといいますと:ちょっと日本の夏祭りを思い浮かべてください。露店やさまざまな出し物が並んでいますよね。(もちろん中身は違いますが)そこに、ジェットコースターやお化け屋敷、ウォータースプラッシュに観覧車、その他もろもろある遊園地を思い浮かべてみてください。さらにビアホールを思い浮かべてください。ガラクタ市もありますよ。このようにいろいろな要素がミックスされたものが「Kirmes」です。

わずか5日のお祭りとはいえ、開催から最終日の花火まで町の賑わいは大変なもので、臨時バスが何本も走り、それでもバスは普段では考えられないぎゅうぎゅうづめ、道路には交通規制がしかれ、毎年交通はかなり混雑し、一時的にボンの人口は増えます。
 
このPützchen、残念ながら規模ベスト10には入っていませんが、去年の訪問客100万人、規模80000m²(ミュンヘンのOktoberfestの約4分の1の大きさです)と一応上位30位にはくいこんでいるので、結構大きなイベントと呼べるでしょう。
 
それにミュンヘンよりこちらのほうが歴史は古いのです。今回でなんと641回目。(初開催1367年)戦争のあった年とコレラの広がった1892年以外は毎年欠かさず開始されています。最も今のように娯楽がメインではなく、露店で物を売ったり買ったりする重要な経済発展の場でした。
 
ちなみにOktoberfestの名がつくように秋がメインのお祭りですが、イースターのころ、春にも規模は小さめながらあちらこちらに移動遊園地がやってきます。(Pützchenは秋だけですが)

この週末、友人とPützchenまで出かける約束をしています。ぎゅうぎゅうづめのバスに揺られるのは憂鬱ですが、それを吹き飛ばすくらい楽しめたら良いなぁと思っています。残念ながら雨女の私に天気は今回も味方してくれなさそうですが・・・。(MI)

参考サイト:PuetzchenイベントHP
 
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実りの秋、収穫の秋。あなたの秋はどんな秋?
 
 

思い出深い夏季セミナーも終わりを向かえ、ドイツ研修生は月曜日からまた元気に仕事に励んでいます。農業学校や見学施設での写真を整理しているときに、ふとみんなとの会話を思い出しました。

legehennenbetrieb.jpg 
(これは学校施設のほんの一部です。他にも養豚、養蜂、育成牛、畑作などの施設がありました。)

それは学校付属の養鶏場を研修生たちと見物していたときのこと。もうお昼に近かったのですが、「コケコッコー」。ときの声があがりました。そこでみんなに質問。

「今コケコッコーと聞こえた人―?」

挙手、日本人研修生のみ。

カナダ人研修生「ちがうよCock-a-doodle- doo コック・ドゥードゥルドゥーだよ」
(アメリカ、イギリスも共通)

スイス人研修生(フランス語圏)「ココリコだよ」

ブラジル、アルゼンチン人研修生「そうだよ、コッだよ」

ハンガリー人研修生「エー、私にはククリクーって聞こえるわ」(ロシア共通)

韓国人研修生
「そうかな、コッキョってないてると思うんだけど・・」

引率のドイツ人職員「え、これはキケリキーって聞こえないのかい?」・・・

鶏の声ひとつとってみても大分違うものです。これは大変面白い経験でした。ちなみに私には何十篇、何百篇聞いても「コケコッコー」としか聞こえません。耳がそうなってしまってるんでしょうね。

この鳴き声談義で気づいたのですが、面白いことに似通ったところでは「ココリコ」「ククリク」「キケリキ」カ行+リで統一されています。どこかの国では「カカリカ」、「ケケリケ」と聞こえているところもあるのかもしれませんね。

鶏だけではなく、他の身近な動物の鳴き声も似ているようでかなり違うので、研修生も最初のころ農場で子供相手に苦労したとか。

(研修生回想中)

ドイツ研修生「馬はヒヒーンって鳴くんだよ」

子供「えー、(くすくす)そんな鳴きかたしないよ、耳おかしいんじゃなーい?馬は鳴かないよ、ロバは鳴くけど」

研修生「(ガ-ン)・・・」
(回想終わり)

ちなみにロバの鳴き声は「イーアー」だそうです。研修生に「ドイツの馬はなんて鳴くんですかーっ?」と聞かれ、答えられなかった私・・・。
一般に表記化されていないように思うのですが、即答できない時点でまだまだ修行不足ですね・・・。

(M.I.)

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先日友人に連れられて、その半分ほどがボン、および周辺市民の飲み水に使われているダム、Wahnbachtalsperre 
見に行きました。4130万立方メートル、あるいは413億リットルの水をたたえるこのダム、何でも1958年に完成されてから50年、そろそろあちこち老朽化しておりこの夏は修理のため余分な水を流しているとか。そして今回の旅の目標は水の底に沈み込んでしまっていた橋を見ることでした。
 
ボンの町から車でおよそ1時間。たどり着いた場所はあちこちロープが張ってあり、見物客は上から眺めるだけ、となっていました。家族連れが多く、日曜日のちょっとした外出に利用されているようです。目指す橋は確かに見えましたが「何だ、こんなものか」状態。しかし、ロープや、フェンスの隙間を利用して皆さん道なき道を降りていきます。われわれも続けとばかりに山道を下りました。土道を滑り降りたり、岩山の細い道を抜けていくと、目指す橋は目前です。
 
Damm4.jpg 
こちらがその橋です。
ちなみに50年も水の中に浸かっていたわりに何人乗ってもびくともせず丈夫です。
なお、「立ち入りは自己責任」なので怪我しても自業自得という場所です・・・。
 
 
普段は水につかっているという場所でも聞かないと分からないくらいごく自然にその橋はありました。昔の人は橋を沈めるためにダムに残したわけではないと思うのですが、どういった経緯があったんでしょうね・・・。
 
世間ではとかく自然保護、資源保護が叫ばれていますが、次にこの橋が地上に顔を出すと思われる50年後に、はたしてどんな世界が待っているのでしょうか・・・。
 
(MI)
 
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ボンには映画館が何件かあります。学生向けの安い映画館、一日一本しか上映しない小さな小さな映画館、町外れにデンと構えている映画館・・・。そんな映画館の中で、町の中心、市庁舎のすぐそばにあるアール・デコ調の古い映画館「メトロポール」が、姿を消すことになりました。
 
1928年に設立、1929年にオープンしてから幾星月、当時はドイツ最先端を行く劇場(映画、コンサート、お芝居)も、老朽化および観客の映画館離れの波には勝てず、映画館としては、すでに一度1982年に一旦閉館していました。その当時の所有者と市民団体の間でも取り壊し、階層を巡って激しい権利争いがあり、1983年に市は映画館を文化遺産に指定するという処置をとりました。文化遺産になると、たとえ所有者でも建造物を勝手に取り壊すことは出きなくなります。これに所有者が控訴し、長い裁判の末1987年にミュンスター高裁が文化遺産として市民団体の主張を認めました。
 
1990年から映画館用に再び改装されたメトロポールはオープンし2006年3月まで活躍していましたが、2006年からその機能を停止して、陳腐な1ユーロショップに貸し出されてしまいました。
 
文化遺産でもある建物の改築を巡って延々と今の持ち主と市民団体との裁判が行われていたのですが、昨日ミュンスター市の裁判で決着がついた形です。
今回の判決は所有者は違えど20年前の因縁の判決を見事にひっくり返すものでした。
 
「現在のメトロポールは1990年の改装工事のため、文化遺産とは呼べない、従って改装するのは所有者の権利だ。ただし、手を加えていない正面は文化遺産だ。」・・・これではここまで裁判が引きずったのは何だったのか、90年に改装許可を与えたときに市は「文化遺産」の価値がなくなると承知していたのか、署名活動で16000の署名を集めた市民団体の努力は何だったのか・・・色々邪推したくなってきます。
 
1928年に建てられてから手を加えられていない部分は表構えのみとのことなのですが、はっきり言わせてもらえば、いい加減古くなったどこにでもありそうな表構えより、中の
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(外観です、まだ文化遺産)(それぞれ内部、劇場と受付です。文化遺産ではなくなりました)
 
景観を守るべきだと思うのですが、この採決はもう揺るがないようです。
新しく生まれ変わる建物は本屋さんになる予定です。
 
裁判官が今回の判決を述べたときの引用です:「ボン市民がいかにメトロポールを愛しているかはわかっています。しかし、純粋に権利と法律に基づいての判決を下したことにどうかご理解願いたい」
 
義理や人情でどうしようもできないこと、世の中にはたくさんあるようです・・・。
 
(MI)

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